あなたのかける魔法がいっとう美しいので  








あの親にしてこの子あり。

その親というのが魏の王であるから、表立って蔑んだ噂話をする者はいない。心の中で尻軽女と罵るか、数人集まりひっそりと笑い合うと言った具合。

どこでもここでも男とだらしなく触れ合うには、父である曹操すらも手を焼くほどであるとか。 その相手が将軍だというのなら政治的にもあり得る話だが、耳を澄ませばあの兵卒と、とか、あの新米文官と、とか。呆れかえるほど「誰彼構わず」っぷり。最近は宦官相手に何やらいけないことをしているらしい。と若い兵が集まれば、の噂は留まる事を知らなかった。



が、当の本人は好奇や侮蔑の視線には何の反応も示さず。
今も、何やら責め立てているような冷たい張遼の眼差しに、にっこりと満面の笑みを浮かべている。

「その不躾な視線にはうんざりです、張遼。噂話は楽しいですか。次は自分の番だと立候補の申し出に来たのかしら」
「そ、そのような気は全くございません!」
「失礼な、私だって、あなたとは御免です」


何か言いたげな表情で更に目元の皺を深くする張遼、それを遮るようには笑った。そして、張遼の頬を右手でそっと撫でる、いやらしく。


「次の次の、そうね、その次なら、お相手できるかもしれません」

カア、と照れというより怒りで顔を赤くした張遼が、の手を弾いた。

様の貞操観念は狂っていらっしゃる」
「まあ、狂っているだなんて。あなたが余りにも凄い顔で私を睨みつけるから、少しからかったのです」
「・・・」
「また怖いお顔を。何を考えておいでなのか私には分かりかねますが、そのような顔では女性が逃げていきますよ」

からかうような声色でそう言うと、じっとを見つめる張遼にさっと背を向け、優雅にその場を去った。

ピンと伸びた背筋、優雅な佇まい。あの素行の悪ささえどうにかなれば、彼女は立派な曹魏の姫君なのに。





▼△





「…今日は一体どこの誰を咥えこんできたのかしらね。まったく、汚らわしい。」


は、こんなやり取りが大嫌いだった。
曹操の、星の数ほどいる情事の相手から生まれた、覚える気も失せてしまう程の娘達。
後宮というのは、本当に何でもありの恐ろしい鳥かごだった。顔を合わせば罵り合いばかり。おまけに、見目麗しい将軍が居ようものなら、それはそれは激しく恐ろしい争奪戦が始まる。容姿の整ったは、いつもその騒動に巻き込まれてばかりだった。


「今日はお目当ての方に振られてしまいましたので、部屋で大人しくしておこうと思いまして。わたくしとて、毎夜毎夜では疲れ果ててしまいます」
「あら、珍しい。ならば、明日はさぞ激しかろう」
「さあ、今のところ相手も見つかっておりませんから」
「有名な様が目の前に現れれば、どんな男でも大喜びでしょうに」

ほほほ、と小馬鹿にしたような笑い声を残して、の腹違いの姉が離れていく。途端、無表情になる。こんなやり取りが、大嫌いだった。



見目麗しい将軍達との婚儀は望まない。
どろどろした関係に巻き込まれたくはない。


は、その夜も、いつものように気の合う、お気に入りの宦官を呼び寄せた。


口の堅い、信頼のおける者。


「毎日憂鬱でなりません。後宮の雌豚共の撒いた噂話に、一体いつまで振り回されれば良いのか。最近では、否定することにも飽きてきました」
「…お気持ちは分かりますが、雌豚とは…姫様が口にするような言葉ではございませんよ」
「あなたの前だから言うのよ。……後宮から出られればどれだけ幸せでしょうね。ここは女の地獄です」
様・・・」

いずれ政治の道具となりここを出る日が来るだろう。好いてもいない男のもとで笑顔を振りまくことになるのだ。今も地獄未来も地獄。はこうして、宦官である孰攸の前でだけしばしば弱音を吐いた。



△▼





のらりくらり。今日も、今日とては人々の噂話の中心に居り、問いただされてはさらりと受け流す。

「またあなた。うんざりだと何度言えば分かるの」

縁側で只ぼんやりと空を眺めていたの目の前には、いつの間にやってきたのか張遼が立っていた。
また、鋭い目つきでを見ている。


「何も、小言を言いに来た訳ではござらん」
「眉間にしわを寄せた男の言葉とは思えないわ」


嫌いなら放っておいて欲しい、最近では笑顔を作れないし、もう、うんざり、うんざりだ。は内心とてつもなく荒れていた。


「私は殿に、様を娶るように催促されております」
「……初耳です」

他国に送られるものとばかり思っていたに、張遼の言葉は驚きだった。
しかし、目の前の男はどうも自分のことを嫌っている。
張遼の眉間の皺は、を憂鬱にさせた。


「…私から父上に断っておきます。売女と噂される女と結婚なんて、あなたにとっても不名誉なことでしょう」


もう行きます、とが動き出したものだから、張遼は慌てた。「お待ちくだされ」と焦ったように口にした言葉は、いつもより荒く声も大きかった。


「あなたさえよければ、私の妻になって頂きたい」


驚く程真剣な眼差しだったが、はそれを鼻で笑った。

「…何が目的でそのようなことを。曹操の娘を娶れば良い後ろ盾が出来るとお考えですか。残念ながら、私の母の位はそれほど高くはない、何を望んでも無駄です」

の言葉は冷たかった。張遼に向けた瞳も、光のない冷たいものだった。

「私が、あなたを自由にしてみせます」
「 ! 」

予想外の言葉に、は動きを止めた。

「自由?何を知ったようなことを」
「・・・あれは、私と共に降った宦官なのです」


あれとは恐らく孰攸のことだろう。まさかの裏切には唇を噛んだ。


「孰攸は、最近の様のご様子を心配して私に意見してきたのです。」
「他言無用と言っておいたのに。孰攸ですら味方ではなかった!」
「孰攸は、様の幸せを願ったまで。私は、先の闘いで初めてを見た時から、あなたに惹かれておりました。孰攸に言われるまでもない、噂話が戯言であることなど分かり切ったこと。どうか、」

張遼はもったいぶって途中で口を閉じた。何を言い出すのか、とが不信感をあらわにした顔で無言の催促をしてくる。

「どうか、是、と」
「・・・あなたは、私を嫌っていると思っていました」
「それは様でしょうに!夫婦となれば、必ず私に惚れさせてみせます故」
どうか、是、と。







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