王子様、どうか私を攫ってください  




顔と家柄は良いが、あの回転の遅い頭では文官としてはとても働けない。ましてや武官など、逆立ちしたってなれやしない。

これが、の評判だった。
古くから力を持つ+++家の次女としてこの世に生を受けたは、顔だけは良い、と影で噂される可哀そうな女だった。それに比べて姉の方は…と姉の能力の高さを引き合いに出されて、罵られる始末。実の父でさえ、お前は恥ずかしくて外には出したくない。と、冷たい言葉を吐き、武家の女の宿命である政略結婚にもなかなか踏み出さない。


ある日、が朝目覚めると、やけに屋敷内が騒がしかった。廊下を忙しなそうに行ったり来たりする女中を不思議そうに見つめるに、父が嬉しそうに告げる。


「お前の姉の嫁ぎ先が決まったのだ。これで、+++の安泰は保証された。……お前には何の期待もしていないし、する必要もなくなった。城下にでも婿探しに行くと良い」


ははははは、と高笑いと共に父は去った。姉程とは行かないが、にも縁談の話がないわけではなかったので、もちろん、城下への婿探しの話は、父としては冗談のつもりだったのだが、頭の弱いは完全に信じ込み、サッと顔を青くした。

私はついに見捨てられた、もうお終いだわ、とわんわんと涙を流し、姉の結婚で浮足立つ屋敷の目を盗んで外に飛び出した。もちろん、行くあてなどなかったし、着替えも、お金も、何一つ準備はしていなかった。持っていたのは、もう二度と屋敷には戻らない、という確固たる信念だけ。

時期将軍候補と名高い男を見事に手に入れたの姉を褒め称えるのに必死だったの家族に、女中から失踪の一報が知らされる頃には、もうすっかり陽も落ちていた。

慌てる女中に父は一喝、「あいつに一人で生きていけるだけの力があると思うか。放っておけばそのうち泣きながら帰ってくるさ」と。まさかが自分の言葉通り、城下に飛び出していようとは露ほどにも思っていない。「そうですよね、様が考える家出など、高が知れてますわよね」と女中までも放置を決め込んだ。



一方、はというと、身に着けていた煌びやかな衣装を売り払い、麻を身に着けてすっかり市井に溶け込んだ気になっていた。安く買いたたかれた着物の代金は、麻の衣装に殆ど費やしてしまい、ぎりぎりで今日の夕食が食べられるかどうかというところだった。はい、はいと異議を唱えることもなく潔く売り払ったは、良いカモとなったことだろう。

とにかく食べる物を、と店の中に入っても、市民の料理など口にしたことのないは、一体どんな料理なのか全く理解できず、うろたえ、店を後にするしかなかった。 知っている料理はないかしら、とあるはずもない料理を探し求め、いつの間にか人通りの少ない廃れた地域に足を踏み入れてしまった。


不幸なことに、は、顔だけは姉に勝るほどに整っていた。そんなを、お金にも色にも飢えた男たちが見逃すはずがないのだ。簪を頭に刺していることなどすっかり忘れ、麻の服には不釣り合いに輝く高価な簪との整った顔立ちに目を奪われた男達は、瞬く間にを取り囲んだ。


「あら、私を案内して下さるのですか?」


の中で男と言えば、良家生まれの礼儀のしっかりした者たちばかりだった。そのため、異様な表情をしている者たちを、案内役と勘違い。 にこにこと微笑む始末である。

「私、食べたことのない料理ばかりで困っておりますの。市井の暮らしに慣れていない私でも食べられるようなお料理はありませんか?」

世間知らずの馬鹿女だ、と男たちはわいわいと盛り上がる。

とびっきりのいやらしい笑顔で、「あっちにあるぜ、俺達が案内してやるよ、」と乱暴にの手を掴んだ。慣れない行為に戸惑いながらも、人を疑うことを知らないは、「感謝致します」と素直に男達についていく。



「………」



麻に身を包みながらも、頭には光る簪。そして、何だか市井には似合わないような気品漂う容姿。そして、その女の周りを囲う男。 何かがおかしい、とたまたまその場に居合わせた男、周泰は長い足を十分に利用して男達に迫っていく。


「おい………」


突然声を掛けられ、男達は振り返った。 市井でも、周泰含め将軍達は有名であった。男達も周泰に気付き、その場を凌ごうと言葉巧みに周泰に説明をする。

「これはこれは…将軍様…俺達に何用ですかね。知り合いと楽しくやってただけなんですが」
「…」

怪しすぎる。周泰が問いただそうと口を開こうとしたとき、その場に不釣り合いな声が響く。

「あら、刀をお持ちということは将軍様なのですね。このような夜遅くまで城下を巡回なさっていたとは、私、存じ上げませんでしたわ。ですが、私達は将軍様に気にかけて頂くようなことは何一つございませんの。屋敷で食べていた料理を食べたいと言う私を、彼らが案内して下さっている最中なのです。将軍様達の治安維持と、殿の統率力のお陰ですわね、城下にはお優しいお人ばかりですわ」

のほほん、とその場の空気をぶち壊し、が笑う。
男達は「は、ははは」と引きつった笑いを浮かべながら一目散に逃げて行った。

「……あら……」

驚いて唖然とする。周泰は、市井の者ではないと確信をもった。

「何故……このような時間に……」 「…私の家の事情なのです、どうぞ、お構いなく」 それでは、と去ろうとするを遮るように、周泰がの目の前に立つ。

「一人では……危ない………俺が……」
「将軍様が案内してくださるの?……いえ、ご遠慮させていただきますわ。将軍様に案内をさせるなど、父に知れたら……」

そう言いかけた所で、父に言われた言葉を思い出したは、ほろほろと涙を流してその場に蹲ってしまった。 困ったのは周泰である。女は泣き声交じりの声で、「どうぞ、捨て置いて下さいませ」というが、到底無理な話である。 それに、何か訳ありのようで口下手な周泰ではきっと聞きだすことはできないだろう。
悩んだ末に、周泰はを持ち上げると、肩に担いだ。
「な、なななななな」と初めての経験に驚く余り涙が止まったは、言葉にならない声を発する。

「……俺の……屋敷に………」
「そんな、将軍さまにご迷惑はかけられませんっ、私、一人でも大丈夫ですからっあのっ」

周泰は良い言葉も浮かばないし、ばたばたと暴れるを肩に保つことに集中していたしで、無言を貫いた。最初はわんわんと暴れていたも、周囲の視線に恥ずかしくなったのか、次第に大人しくなっていった。

「……自分で歩きますので、降ろしてください…これでは恥ずかしくて適いませんわ……」

観念したが周泰の耳元でぼそぼそと呟く。周泰は一瞬考える素振りを見せたが、を降ろすことはなかった。

「この方が………速い…」

それならば私、走ります、と藁草履を履いて真面目な顔で言うを、周泰はまたも無視した。観念した は周泰の肩に顔をうずめて、周囲の視線から身を守った。





「…周泰様!?」

なんということだろう、明日は槍でも降るんじゃあないか。
女を肩に抱いて登場した周泰に、女官は驚きの余り固まった…が、ほどなくして、が衣服がずり上がった可哀そうな格好になっているのに気付いた。

「ま、まあ!女性をそのような抱き方で……はやく降ろして差し上げて下さいませ」

着衣からして市井の者だろう、だが、何故に・・・と女官が思考を巡らせる中、は周泰に降ろされて久方ぶりに地面に立った。背筋を伸ばし、眉を下げて女官達に向き直る。その表情には、困惑と、不安がありありと見て取れた。

「……突然のご訪問と、名を名乗ることができない無礼をお許しください。…私、すぐに失礼致しますので…」

気品あふれる言動と、女であるにも関わらず見惚れてしまうほどの美貌。 良いとこの娘が、家出中に周泰様に拾われたのだろう、とずばり的中な検討をつけ、女官達は笑顔を向けた。

「周泰様が屋敷に女性を招くなど、滅多にないことなのです。このような時間に、あなた様を放り出すなんて、私共には出来かねます」

困惑するの腕を引っ張り、無言で屋敷に入って行く周泰。 「…将軍様!?」とかわいそうな程慌てる。その様子に、女官達は、あらあら、と表情を緩め、まずはお召替えだわ、よい着物があったかしら…といそいそと準備に散っていった。





屋敷にあがり、あれよこれよと言う間に、は麻の服を脱がされ、女官が来ている中でも最も良い着物を着せられ、そして今、周泰と同じ部屋で夕餉を頂いている。
実は、服を召し替えている最中に部屋にあった高級そうな花瓶を割り、そして、着物の裾を踏んで大転倒するという失態を犯していたは、申し訳なさでいっぱいで今にも涙が爆発しそうだった。


「箸が進んでおらぬ様ですが…お口に合いませんでしたか?何か、作り直させましょうか?」とそれでもまだ笑顔でに話掛けてくれる女官に、の感情は爆発、そして涙も爆発。

「わ、私は、+++家の次女のと申しますっ実は…」

とわんわん泣きながら全てを白状した。女官達は、「そうだったのですね」と優しくの涙を拭いた。





次の日、の実家には周泰からの文が届けられた。父は将軍様になんてご迷惑を、とカンカンだったが手紙を読むと驚愕のあまり黙り込んだ。

そして家出から1カ月後、煌びやかな衣装に身を包み、穏やかな表情で家に顔を見せに行ったの隣には、周泰の姿。

殿を…嫁に頂きたい…………」

驚きのあまり、父も、母も、たまたま居合わせた姉も、姉の夫も、なんとも間抜けな表情で周泰の言葉を受け入れた。 妻としての自覚をもったは、執務に追われ疲れきって帰宅する夫を癒すことのできる、周泰の自慢の妻へと成長した。
inserted by FC2 system