叙情  




「あれ?切島財布変えたの?」

スマホを取り出した際、カバンの隙間から財布が見えたようで目敏い芦戸が「見たい!」と両手を出している。

「見たいっつっても、何も入ってねーよ?」

別に隠すものでもないので催促に従うまま財布を差し出せば、芦戸は黒目がちな目をまん丸になるまで広げてわなわなと震えている。

「切島がエルメス?!嘘でしょう?」
「エルメス?」


その財布は先日彼女からプレゼントされたものだった。誕生日でも記念日でもない日のプレゼントに最初は戸惑ったが、「鋭ちゃんに似合うと思うとつい買っちゃうんだよね・・・」と笑う彼女は最高に可愛いくてついつい受け取ってしまうのだ。


「エルメス知らないの?その財布30万以上するよ」
「さ、30万・・・?!」
「あとこれもエルメスのボディバッグだよね。50万近いよ」
「ご、ごじゅっ」


思わず付いていた埃を払った。いくらプロヒーローといってもまだまだ駆け出しの俺たちには超がつくほどの大金だった。財布や鞄にそれだけの額が出せるほどの余裕はない。

「・・・誰にもらったん?」
隣でやり取りを見ていた麗日が興味津々といった様子で話に参加してくる。

「かっ、彼女・・・から、」
「いつの間に?!そして誰!?」

ギャーギャーと一気にテンションが上がる女子に囲まれて、俺はなんと答えるべきか押し黙る。秘密にして欲しいと言われたわけではないし、同期内で話しても問題ない・・・よな。

「事務所の先輩で・・・アンナチュリーっていう・・・」
「うわああ!アンナチュリー?サイコキネシスの?!」
「すっごい有名人とお付き合いしとるんやね・・・!流石やわ・・・」

ま、知ってるよなあ。すごいヒーローだもんなあ。 アンナチュリーはヒーロー番付上位常連のヒーローで、サイコキネシスというレア個性を持っている。ヒーロー活動だけでなく、最近ではCMやアーティストのPVにも引っ張りだこでとにかく抜群の知名度を誇る。


「でもさ、アンナチュリーってヒーローインタビューとか雑誌インタビューで、いつも彼氏募集中って言ってるよね?あれ、なんで?」


芦戸の無邪気な問に心が抉られる思いだった。

「人気商売だからだろ。わりと世間の目気にする人だし。・・・俺は気にしてないぜ?」
強がっては見たものの、正直テレビで“彼氏募集中です”と笑うを見る度に胸が痛い思いをしているのも事実だった。

「んー、切島、大丈夫?」
「何がだ?」
「アンナチュリー、強いし憧れるけど遊んでるイメージあるし。そこんとこ大丈夫かなって。キープ君になってない?遊ばれてるってゆーか?」
「・・・」
「いやいや!黙っちゃダメだよ切島くん!三奈ちゃんも何言っとるん?うちらだってインタビュー真面目に答えんやん」
「そっ・・・そうだよな!芦戸の剣幕に飲まれるとこだった」
「うーん、そうかなあ。切島、ちゃんとアンナチュリーにも聞いた方が良いよ。エルメスもらって満足してたらダメだからね!」
「お、おう・・・」


そもそも俺はエルメスの価値すら分かってなかったわけだけど、芦戸にそこまで言われると、確かに自信をもって“キープじゃない”と否定できるだけの根拠に乏しかった。俺の心の中でぐるぐると渦巻く黒い物を隠すように、務めて明るく振舞った。久しぶりの飲み会でこれ以上雰囲気を壊すわけにはいかないからな。



▲▼



久しぶりにと会うことになり、芦戸の言葉が胸をよぎった。さり気なく、俺が不安に思っていることを伝えてみようか。口下手な俺は頭の中で口にする言葉を事前に練っていく。エルメスのこと、それから、インタビューのこと。

・・・俺、30万の財布も50万の鞄もいらねぇよ」
「・・・どうしたの?気に入らなかった?」
「そんなんじゃねぇよ。彼女からこんな高価なもの貰うなんて男としてどうかと思うし、遊ばれてるんじゃねーかって同期に言われたし」
「遊ばれてる・・・?」

がムッとしたのが分かった。俺だってこんなこと言いたくはないけど、俺の中で生まれた疑念を振り払えるような言葉を与えて欲しかった。

「鋭ちゃん、ちゃんと否定してくれたんだよね?」
「・・・・・・」
「なんでそこ疑っちゃうかなあ」

はあ、とため息なんてつくものだから俺の内側からどろどろしたものが込み上げてくる。疑いたくなるようなことしてんのは、そっちだろ!

バン、と手にしていたグラスをテーブルに叩きつけて。

「インタビューではいつも恋人はいませんって断言するし」
「週刊誌では共演者とすぐ噂になるし」
「俺と会う時は撮られないようにめちゃくちゃ慎重になるし」
「そもそもあんま会ってくれねぇし」
「こんな状況で、俺が自信満々に否定出来ると思うのかよ!!」


息継ぎもほどほどに今まで溜まっていまものを全て吐き出した。そうだ、ずっとずっと不安だったんだ。無理に問い詰めることこそしなかったが、報道が出る度にが口にする「こんなの全部嘘だからね」という言葉を鵜呑みにすることなんて到底出来なかった。こんなに好きなのにそれでもどこか虚しくて、堂々と“彼女だ”と口に出来なかったのはどこかで今の関係を疑っていたからだ。


は俺が言い終えるのを待って、ゆっくりと目を閉じた。あ、もう終わりかも。次に目を開けたときのの目は冷たくて、言葉を発しようと口元が動くのを無理矢理に抑えたくなった。こんなに一方的に怒っておきながら、別れの言葉なんて聞きたくないと思ってしまう。

「そっか。分かった、帰る」
「えっ、待っ・・・」


の声はやけに落ち着いていた。咄嗟に伸ばした手はバチ、と弾かれた。こんなとこで個性使うのかよ・・・!静電気よりもっと強烈に俺を拒絶したは、後ろを一切振り返ることもなく俺の部屋から出ていった。やっちまった。これで終わった。もう俺は彼氏でも、ましてや愛人ですらない。残されたのは“こんなの要らねぇよ”と突っぱねたエルメスの財布と鞄だった。女々しくもそれをぎゅっと抱きしめて泣いた。



泣いて泣いて、漢らしくもなく未だ2時間前の自分を後悔していた。怒りに任せてまくし立てるのではなく、もっと言い方があったはずだ。プレゼントは嬉しいけどエルメスは余りにも高価すぎる、とか。を愛してるし、愛されていると思うけど時々不安になるんだ、とか。


「今更遅えんだよ・・・めそめそすんなよ」


静かな部屋に俺の情けない声はよく響いた。
気分転換にテレビを付けると、最近流行りの芸人がコントをしている。観客は大ウケだが俺は無表情のまま視線を逸らした。が好きだ。なにか飲もうと立ち上がり、冷蔵庫を開ける。が好きだ。なんだこれ、どうしようもない自分に笑いさえこみ上げる。悪あがき、するべきか・・・・・・スマートフォンを探すため部屋を見渡していると、ガチャ、と部屋の鍵が開く音がした。開け放されたリビングの戸の向こうに、視線が集中する・・・・・・



「は、え、な、なんで・・・」

いつからこんなに泣き虫になった?俺の目はの姿を見つけるや否やすぐに涙の膜を張った。

「ちょっと1回家に帰ってた」
「・・・怒って帰ったんじゃねーの・・・」
「ちょっとね。ショックの方が大きかったけど」

あーやべー泣く。抑えきれないほど溢れてくる涙を慌てて指で拭った。
がいつも通りの様子で戻ってきてくれたことが嬉しくて、ガチ泣きしそうだ。唇が震えるのを悟られないように噛み締めた。


「鋭ちゃん不安だったよね。ごめんね」


目頭を抑える俺の手を優しく包みながら、は話を続けた。


「・・・エルメスはね、好きな人に私の好きな物を身につけて欲しかっただけだよ。他に相手がいて、鋭ちゃんへの罪滅ぼしの為のプレゼントだとか一切ないからね。大体鋭ちゃん、エルメス興味ないでしょ」
「本当はデートもしたかったけど、鋭ちゃんはこれからまだまだ伸びる期待の若手ヒーローでしょ?今の時期熱愛報道は絶対マイナスだからね、我慢してたの」
「でも、全部空回りしてたんだね。気づかなくてごめんね」


の手が俺の顔を撫でる。古傷に指を沿わせたかと思えば、頬を親指で優しくさすったり。


「鋭ちゃん、好きです。結婚して下さい」


▲▼


心臓が止まるかと思った。
は家から取ってきたらしい紙袋から小さな箱を取り出した。まさか指輪・・・?!と焦ったが出てきたのは時計だった。 「時計を贈ると、あなたの時間を束縛したい、って意味になるみたいだよ。プロポーズにピッタリだよね?」と優しく笑っている。 “プロポーズ”その言葉を消化しきれなくて、俺はさっきからまともに言葉を話せない。


「は、、え、、」
「もう1回言う?」
「う、いや、」
「わたし、鋭ちゃんの奥さんになりたいな」

言葉を変えてくるなんてずるい女だ。俺は多分みっともないぐらいに顔を上気させてしまっている。

「結婚する、したい。・・・けどよ、俺から言いたかった・・・・・・」

ぽつり。絞り出した声は小さかったが、はしっかりと拾ってくれたようで、よしよしと俺の頭を撫でている。


「鋭ちゃんのタイミング、待ってもよかったんだけどね。別れ話みたいなこと言うから焦っちゃった。ごめんね」


そう言いながらぎゅっと抱き締められて、俺はもう真っ逆さまに堕ちる。多分一生には勝てねえんだろうなあ。

「好き、すっげえ好き。一生かけて大切にする」
「・・・うん、ありがとう」


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