今度の林檎は媚薬入り  




あの方から直々のご指名だという命令がバーボンに下ったのはつい一昨日のことだ。 ?ターゲットの男の家で行われるパーティに参加し、パソコンからデータを抜き取れ、しくじるなよ? と念押しされた任務をジン経由で告げられたバーボンはすぐにベルモットにメールを入れた。 パーティに女性の同伴は必要不可欠だからだ。

『その日は表の仕事があるから無理よ』

しかし、そう冷たく断られて頭を抱える。そういえば、主演映画のプレミアでしばらく日本を離れると言っていた気がする。こんな時にあの女は!と苛立ちから前髪を乱暴にかきあげた。
(他の女性…キールは元有名人で顔が割れているし、キャンティに務まるとは思えない…)
一般人を巻き込むわけにはいかないし、組織の任務に公安を動かすなんて以ての外だ。なら、どうする・・・?

バーボンの思考を邪魔するように、スマートフォンのバイブが鳴る。デスクの上でガタガタと不快な音を立てるそれを片手で引っ掴むと、チェアに深く体重を預けながらメッセージを開いた。

『 ……お相手に困ってるなら、サングリアを日本に寄越してもいいわよ。今から会う予定だから、頼んであげる』

以外にも、メッセージは先程冷たくあしらわれたベルモットからだった。しかし、手放しで喜ぶことはできず、見知らぬ名前に眉根を寄せる。

『 サングリア…?』
『 あら、知らないの?これを機会に仲良くなってみれば?便利な子よ。』
『 便利、ですか。その方にあなたの代わりが務まるのであれば僕は歓迎しますよ。』
『 そ。じゃあ伝えておくわね。明日日本に向かわせるわ、空港までお迎えに行ってあげるのよ。最終便に乗せるから』
『もちろんです』

バーボンのメールを最後に、スマートフォンは鳴らなくなった。
サングリア。ベルモットが“便利だ”と褒める女の名前には聞き覚えはなかった。新入りなのか、表に出ることなく組織に飼われていた哀れな女なのか。コードネームが与えられているのだから、実力はあるのだろう。扱いやすい女であって欲しい、任務以外のことで頭を悩ませたくはないのだから。


▲▼


航空会社の名前も分からない、携帯の電話番号も知らない。顔も知らない。そんな相手と出会うことができるのか。ベルモットは忙しいらしく、『サングリアを迎えに行くので、便名と到着時間を教えてください。』という今朝送ったメールへの返信はなかった。電話も掛けてみたが、折り返しはなかった。仕方なく、運行している全ての会社の中で、1番早い最終便が到着する時間を調べてやってきたのだ。
バーボンは荷物受け取り所の見える位置の壁に持たれて時計を見た。電光掲示板によると、強風の影響でどの便も少し到着が遅れているらしい。きょろきょろと辺りを見渡しながら“サングリア”を探す。
日本人以外に絞って探せばいいのだろうか。アメリカ発の便に乗るベルモットの知り合いで、バーボンとして会ったことがないと考えると、彼女はあまり日本での任務がないのだろう。彼女のフィールドはアメリカ?しかし、今回の任務に推されると言うことは日本語が話せるのだろう。となると、日本人の可能性も捨てきれない。…仮に欧米人と絞れたとしても、ここは国際線、欧米人は見える範囲だけでも何十人と居る。
情報が足りずイマイチ推理し切れないバーボンは、焦ったように辺りを見回す。


「あの……」


そんなバーボンに 眉を八の字に下げた女が声をかけた。
バーボンは声の主を上から下まで品定めするように盗み見た。ベルモットが推す“組織の人間”かを見定める為に。
艶のあるディープブラウンの髪は、肩に付くか付かないかの位置でふわふわと揺れている。白と紺のボーダーの爽やかなペプラムトップス、ボトムスには白のスキニージーンズ、端を1.2回折り返した足首には華奢なデザインのアンクレット、ヒールのある赤いパンプスを合わせている。バーボンと目が合うと、ほんのりと頬を染めてにっこりと笑った。裏も表もないようなのほほんとした様子に、バーボンはサングリアを見い出せなかった。

もし、道に迷ったのなら他の人に聞いてくれ。不機嫌な声を出しかけたが、今の自分がバーボンであり安室透であることを思い出す。愛想笑いと共に柔らかな声色を返した。

「……僕に何かご用ですか?」
「お迎えに来てくださった方でしょう?」
安室透の愛想笑いに負けず劣らず、女は柔らかみのある笑みを向けてくる。
「・・・なぜ僕だと?」
「ベルモットから、金に近い茶髪で色黒で背の高い、私の好きそうな顔の人だと聞きました!周りを見ても当てはまる人は誰もいなかったので」
私の好きそうな顔の人、と言ったことについてあとから恥ずかしくなったようで、女は徐々に顔を赤くしていった。“ベルモット”という名前が出てきたことで、バーボンは彼女がサングリアだと認めざるを得ない。

「サングリアです、初めまして」

少し小さい声でそう言ったあと、恥ずかしそうに笑った。やはりアメリカ育ちらしいサングリアは、挨拶と共に握手を求めて手を差し出している。

「初めまして、バーボンです」

バーボンが笑顔で握手に答えると、サングリアはまた頬を染めた。

(本当に組織の人間なのか?こんな女が?)

思っていることが顔に出てしまうようで、先程から不安や喜びや照れがすべて表情から漏れてしまっている。呆れると同時に、うまく転がして情報を得てやろうという降谷零の部分が見え隠れしていた。バーボンの笑顔のしたに隠れたそれに、サングリアは気づいていない。


▲▼


「ベルモットに聞いていた通り、素敵な方!」

髪もサラサラで羨ましい!とRX7の助手席でサングリアは笑う。いつも助手席に座っている大人の女の誘うような笑みとは程遠い、子供のような無邪気な笑い方。バーボンはそれを盗み見る度に不安になる。

(ベルモットの意図が分からないな。“便利な子”…?ただの脳天気なガキじゃないか)

「バーボンはおいつくですか?」

適度に会話を続けるバーボンに気をよくしたのか、サングリアは初めてバーボンの個人的な情報を知りたがった。

「いくつに見えます?」
「う〜ん、25歳?もっと若く見えるけど、落ち着いた雰囲気を加味してみました」
どうですか?
そう言いながらサングリアはまた子供のように笑っていた。

「29ですよ」
「ええっ!見えない!」
「そういうサングリアはお幾つですか」
18〜19ぐらいだろうと予想して問いかけた。

「今年で26になります」
「え」
反射的にサングリアに顔を向け凝視してしまった。バーボンの反応にびっくりしたのはサングリアで、「えっ?え?」とあたふたしている。「バーボン!前!前見てください!」運転手がちらりとも前を見ない状況が怖くてサングリアは正面を指さした。バーボンは「大丈夫ですよ、慣れた道です」と言いながらも正面に向き直し、話を続けた。

「26?本当に?」
「…もっと上に見えましたか」
「まさか!逆ですよ。成人していない女の子が来たと思いましたから」
「女の子って……」
どうせ子供っぽいですよ、と拗ねているところがもう既に子供だ。表情がくるくる変わりすぎるところも幼く見える要因だろう。ベルモットが助手席に居る時と比べ、車の中の雰囲気が柔らかい。

「女性にとって若く見えるというのは嬉しいことじゃないんですか?」
「若く見られることと子供っぽいと思われることは違うんです」

気にしてるんですから、年齢の話はこれで終わりです! 自分から年齢の話を言い出したくせに。唇を尖らせて窓に視線を向ける姿がおかしくて、バーボンは少し笑った。


既にホテルのチェックインは済ませていた。 サイフに入れていたルームカードを取り出し、サングリアに手渡す。

「部屋は601号室ですよ」

部屋まで着いてきてくれるつもりなのだろう、バーボンはそう言いながらサングリアの荷物を手に取りエレベーターへと歩き出す。

「あの、お疲れでは?私、1人で大丈夫ですよ?」

最終便は午後10時着で、今はもう12時近い。サングリアは明日も明後日も休みだが、バーボンには表の仕事があるんじゃないか。そう思っての言葉だった。

「そう警戒しなくても大丈夫ですよ。荷物を運んですぐ帰りますから」
「警戒?ああいえ、そういうつもりではなかったんですが・・・バーボン、明日のお仕事に響きませんか?もうすぐ日にち跨いじゃいますし」

時計を見せながら申し訳なさそうにしているサングリアの様子に、他意はないと感じ、バーボンはフッと力を抜いたように笑った。

「大人なので、12時を過ぎようと何の不都合もありませんよ」
「!」

(この人、割と意地悪だ!!)
サングリアは羞恥からサッと顔を赤くして、それを隠すようにフイと顔を背けた。

「では、荷物お願いしますね!私は先に行きます!」

サングリアはバーボンを追い越して早足でホテルへと入る。

これが26歳の言動か?仮にも組織の人間の?

サングリアの早足は大して早くない。案の定、エレベーターホールで一緒になった2人は、結局同じエレベータに乗った。

「あなた、本当に26なんですか」
「26ですよ!身分証見せましょうか?」
「ええ、ぜひ」
「やっ、やっぱりイヤです!」
「・・・」

からかい過ぎてサングリアの機嫌を損ねてしまったようで、サングリアは部屋の前に着くとバーボンから荷物を奪い、さっさと部屋に入ってしまった。
(可愛げのない女……)
バーボンが踵を返しかけたその時、ガチャとドアが開く。その音に振り返ると、ドアの隙間から顔だけを覗かせていたサングリアと目が合った。

「……お迎え、ありがとうございました。おやすみなさい」

へにゃり、と下手くそな笑みを添えて軽く会釈すると、口を開きかけていたバーボンの言葉も待たず、部屋へと引っ込んでいった。
裏も表も分からないようなその言動に、バーボンは困惑しきりだった。
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