わかりあうことも、わかりあえないことも、
「優柔不断もいいところ、目立つ才どころか僅かな才もない、まるでお飾りのような君主だ」 法正の劉璋嫌いはもう引き返せないとこまで来ていた。 仲間と劉璋の悪口を言い合う法正の姿を見つけては、は唇を噛みしめて悔しさを飲みこむ日々だった。 劉璋の娘であるでさえ、父の凡庸ぶりには呆れるところがあった。父も父なりに頑張っているのだ、とはどうにか父の為に働こうと暇さえあれば兵法の勉強に時間を費やした。早く…早く一人前になって父を補佐できるようにならなければ…とはそればかりだった。 しかし、情勢はもう一人の力ではどうにもならないところまできていた。 気付けば父は部下たちから愛想をつかされ、籠城。城の周りにはぐるりと劉備の配下が並んでいた。絶望に浸る父を慰めながら、はこっそりと窓から外の様子を覗く。 「………」 城の外に、劉備に膝を立てる法正の姿があった。…やはり、劉備と通じていたのは張松だけではなかった。 思った程の動揺はなかった。ひゅっ、と息を呑んだ、それぐらいだろう。 は、法正の裏切りを自分の胸の中だけに押しとどめた。 父に知れれば、父が壊れてしまいそうな気がした。 膠着状態が続いたある日。 劉備軍に届いた知らせは、籠城中の劉璋勢にも伝わった。 馬超が劉備軍に加わり、成都に攻めてくるというのだ。 慌ててと劉璋の居る部屋に飛び込んできた部下の言葉を聞いて、父はいよいよおかしくなってしまった。もうおしまいだ、お終いだ、と繰り返すその姿の弱弱しいこと。 の力では、もう、父を止められなかった。 顔は窶れ、威厳も何もかもを失った父の発しようとする言葉は、には手に取るように分かった。 「……降伏する以外にはなかろう…」 「なりません!!食料も、兵も、我が城にはまだまだ十分揃っているではありませんか!それを、降伏だなんて…!!同族に国を奪われるなど、なんと不名誉な、なんと愚かな…!」 の叱咤は、もはや父には聞こえない。 「…開城しよう。、お前は私が降伏を宣言する隙にでも、部下を連れて逃げるとよい。」 「……父様、何を無様な!道連れとなる部下のことも考えるべきです、なぜ諦めるのです、我々はまだ十分戦えます!」 父に向かって大声を張り上げるなど、初めてのことだった。 父の襟元に掴みかかろうとしたを、傍らに留まっていた長厳が慌てて止めた。 「っ、離しなさい!!」 「長厳、そのままを連れて行きなさい」 長厳は短く返事をすると、泣きわめくを引きずるように部屋を出た。 「馬超が何だと言うのです、劉備が何だと…うっ、お願いです、長厳、離して、離しなさい!」 長厳の背中ごしに、は、父が部屋の窓を全開にし、降伏宣言をする姿をみた。 声にもならない、涙にもならない悲しみが襲ってきて、は抵抗をやめた。 長厳は、動かなくなったを抱きかかえるようにして先を急いだ。廊下を全速力で駆け抜け、薄暗い山道へと続く逃げ道を目指し、息を切らせながら必死に走った。 「様、これから、山道に入ります。吾にしっかりとしがみ付いてい」 長厳の言葉が不自然に途切れたかと思うと、宙に浮いていたの体は一変、地面に叩きつけられた。頭に、頬に、首に、着衣に降り注ぐ、生温かい液体。 の身体に続くように地面に倒れ込んだ長厳の胴体と頭は、切り離されていた。 「やはり、この道を利用なさいましたな」 「あ、ああああ」 恐怖と痛みで、は身体を動かすことが出来なかった。そんなを、声の主は長厳の代わりと言わんばかりに抱きかかえた。 の虚ろな目と、鋭い目が合わさる…… 「……法正………」 離して、と正気を取り戻したが法正から逃げようと必死になるが、法正は易々とを抑え込み、長厳の血に塗れたの顔を、手で優しく拭った。 「長厳、最後まで劉璋の肩を持った愚かな男でしたな」 馬鹿にしたように笑う法正から逃れようと必死に足掻くが、そこは男と女の力の差、きつく抑え込まれて何の抵抗も出来なくなる。悔しさを滲ませるの耳元に唇を寄せて、法正は低く呟いた。 「さあ、劉備殿の元へ参りましょうか」 |