恋しい夜は月を、星を
「ヒソカ……私と結婚して」 は、とヒソカが顔を向けると、は真剣な眼差しでヒソカを見ていた。 どうやら冗談などではないらしい。 馬鹿なことを、とヒソカは今までに向けていた愛情やら親愛やらが途端に失われていくのを感じていた。 「急にどうしたんだい」 「ヒソカは何にも縛られたくないって分かってる。でも、私は安心が欲しいの」 「君の言う安心は紙切れ一枚で得られるのか◇」 「世間的に認められたいのよ、ねえヒソ」 ああ残念だ、とヒソカは口の中だけで喋った。 の声を遮るように、周で補強したトランプを投げる。 に驚きはなかった。諦めたような泣き出しそうな、そんな表情で向かってくるトランプを叩き落した。 「…ヒソカの気持ちはよく分かった」 予想通りだったよ。 が部屋から出ていく。 さようなら、と小さく呟いて。 * とは3年間付き合った。 けれど、一緒に居た時間で換算すればきっと半年分にも満たないだろう。 お互いに秘密主義で、名前と年齢と、プロハンターである、ということ以外には何も知らなかった。 仕事で会えない日々が続いても、1、2通のメールで何の問題もなく過ごせる、付き合いやすい、いい女だったと思う。 ヒソカは特に気落ちするわけでもなく、適当な女を見つくろって遊んで、偶に弄んで殺して、なかなかに欲望を満たす生活を送っていた。ごく稀に、何かの拍子に、のことは思い出したが。 「荒んでるね」 仕事の打ち合わせに、と呼び出したイルミが、ヒソカを見て一言。 「まさか◇楽しい生活を送ってると思うけどなあ」 「ふーん、ま、いいや。仕事の話だけど」 実に淡泊にイルミは話題を切り替えた。 もちろんヒソカも私生活をベラベラと話すつもりはなかったが、?荒んでいる?自分自身についてもう少し突っ込んで聞いてみたい気もした。 「ん?それって結婚指輪かい◇」 ふ、と吸い寄せられたのはイルミの左手薬指にあるシルバーリング。 イルミは「うん」と一言返した。 「面倒だよ結婚なんて。最初は口も利いてくれなかったし」 「政略結婚ってやつだ◇大変だねえ君も」 「家の為だから、我慢できるけどね…じゃ、話は終わったしもう帰るから」 「…忙しいなあ君も」 「早く帰らないと煩いんだよね。泣かれると鬱陶しいし」 終わったら連絡するから、約束の口座に入金よろしく、とイルミはヒソカに背を向けながら言った。 あのイルミが、奥さんの言いなりか◆ 口ではいろいろ言いながらも、どことなく幸せそうなオーラが漂っていたように思う。 携帯を取り出してぼんやりといじる。 = 危うく発信ボタンを押しそうになり、ヒソカは可笑しそうに携帯を閉じた。 同じ部屋で過ごして、ご飯を作って、一緒に出掛けて。 結婚生活のようにこれが毎日だったわけではないが、内容としては同じではないか。 何が不満だったのか、ヒソカには分からない。 * (★ ̄v ̄▲) は携帯のメール受信履歴から懐かしい顔文字を発見して、思わず笑みを零した。 「あー…会いたい……」 ヒソカが結婚に応じてくれるわけはないと思っていた。 が欲しかったのは「何かあったのかい?」という恋人の突然の変化を気づかう言葉だ。 そうすれば、抱えていたもの全て吐きだしていたかもしれない。 「あの時の顔……私のことなんて、全然大切じゃなかったのよ……」 興味が失せた、とヒソカの表情から全てが伝わった。 思い出すだけで涙が出てきてしまう。 はベッドの上で枕に顔を埋めて泣いた。 「何、また泣いてるの。俺、時間は守ったよね」 突然降り注いだ声に、はびくりと肩を揺らす。 「……入るときはノックしてって何度言えば分かるの」 「ここは俺との部屋だろ。は自分の部屋に入る時にノックするの?」 「も、いい。…今日の仕事は終わったの?」 「今日は打ち合わせだけだから」 イルミは蹲るの隣にゆっくりと腰かけた。 スプリングがギシリと鳴く。 「一日泣いてたの。いい加減慣れなよ」 そう言いながら、イルミは優しい手つきでの涙を拭う。 「大分慣れたよ。たまたま今涙が流れただけ。それまでは元気だった」 「それ、1週間前にも同じこと聞いたよ」 「もー…それ言わないで」 はだるそうに身体を起こし、イルミの隣に移動する。 「母さんが仕事しろって煩いけど、が慣れるまでは俺が代わりにやっとくから」 「……いいよ、明日から、出る」 「だめ。そのまま逃げる気だろ」 「逃げたって行くとこないよ。捕まった後が怖いし」 はイルミの背中に身体を預けるようにもたれかかった。 「イルミはさ、この結婚、良かったの?」 言いながら泣いているようで、の声は震えていた。 「良かったも何も、俺の意思なんて関係ないよ」 「付き合ってた人とか、居なかったの?」 「殺し屋に恋人なんて必要ない」 「俺は、相手がで満足してるから」 イルミはそう言って立ちあがった。もたれるものがなくなり、はバランスを崩してベッドに倒れた。 「もうすぐ夕食だから、ちゃんと準備しときなよ」 は呆然として閉じられたドアをいつまでも眺めていた。 |