悪夢の続きを見せてやる  




シリウスの大きな手がの肩を掴み、壁際へと追いやった。消灯後の校舎の中は驚く程静かで、の身体が壁に当たる音、ローブが擦れる音、そして2人の息遣いがお互いの耳に鮮明に届く。

「シリウス?…何考えてるの?怖いよ…」
「何って、お前のことだよ。これからどうしてやろうかってね」
「シリウス!」

シリウスの足が、少しだけ間の開いていたの膝をぐっと押し広げた。はっとして足を閉じようともがくだったが、 抵抗空しくシリウスの足はの足と足の間に差しこまれた。はいよいよ恐ろしくなったようで強くシリウスの肩を押した。けれど、シリウスは全く動じず、その端正な顔をの目を覗きこむようにして近づけた。

「怖がりすぎだろ、もしかして、初めて?」

蔑むように弧を描いたシリウスの唇が、徐々にへと近づいてくる。いくらが抵抗しようとも、がっちりと抑えられている為に逃 げることも顔をそむけることもできなかった。

「あなたって最低だわ」

大粒の涙をぼろぼろと落としながら、がシリウスを睨んだ。

「それはどうも」

そう言ってシリウスは強引にに口付けると、そのまま二人は床に倒れ込んだ。







「……って夢だった」

シリウスが思いっきり顔を顰めてジェームズに語った夢の内容に、ジェームズは一通り笑った後で「心の奥底ではのことをめちゃく ちゃに支配したいという欲求があるのかもね」と面白そうに言った。

「ない、ない、絶対にない!」

シリウスが吠える。シリウスが夢の中で支配した相手は、。由緒正しき家のご令嬢で、ネクタイカラーはグリーン。つまり 、スリザリンである。

「思い出しただけで吐き気がする!何だって俺はあんな女と…っ」
「夢には深層心理が描かれているって言うだろ。…残念だよシリウス。君は僕の親友だけど、結婚式は欠席させてもらうね」
「バカなこと言うんじゃねぇ!」


シリウスはが大嫌いだった。シリウスとは入学当初から、いや、それ以前、ブラック家と家としても関わりがあり、幼い頃からパーティではよく顔を合わせていた間柄だった。しかし、ブラック家でも異端な存在であるシリウスは、純血主義 と名高い家が自分の家と同じぐらい大嫌いだったし、そんな家柄に染められてすんなりとスリザリンに入ったのことも憎たらしかった。

「次に出てきたら殺してやる」
「おー怖い」

低く唸ったシリウスの言葉に、ジェームズはおどけて肩を竦めてみせた。








「いつにも増してグリフィンドールからの視線が熱いわね」

朝食の席で、同室のメアリーがボイルされたソーセージを取り分けながら、迷惑そうに呟く。その向かい側に座っているは食欲なさ そうにフォークから手を放した。

「…やっぱりそう思う?」
「思うわ。ブラックなんて凄い形相よ」
「私また何か怒らせるようなことをしちゃったのかしら。はあ、もう、いやだ、見当もつかないわ」
「理由もなく勝手に怒ってるだけよ。頭がいい癖に中身は子供なんだから。気にせずに食べましょ」
「うん…ありがとう」

メアリーがどうってことない、とでもいうようにソーセージをぱくぱくと食べるものだから、はおかしくなって笑った。けれど、視界の隅の方にはまだこっちを見ているシリウスが写っていていつも通りの楽しい朝食、というわけにはいかなかった。

シリウスが怒っている。そんな日に限ってグリフィンドールとスリザリンの合同授業、魔法薬学の講義がある。主に彼らの標的になるのはスネイプだったが、時たま思い出したようにに吹っ掛けてくることもあった。

は可哀想なぐらい後ろの席のシリウスを意識していて、得意な薬学の授業なのに手が震えている。

、大丈夫?私が作るからは休んでていいのよ」
「あ、ありがとう…でも平気よ。そんなことしたら、余計に馬鹿にされちゃうわ」

気丈に振る舞うが次の薬品を鍋に傾けたその時、後ろから「アレストモメンタム」と小さいがハッキリとしたシリウスの声が聞こえた。
対象の動きを一時的に止める魔法で、試験管が傾いたまま固定されてしまったは、いきなりのことに何の対処もできない。メアリーも、咄嗟にフォローすることが出来ず2人は試験管の中身が全て鍋に入っていくのを見ているしかなかった。 。
シリウスは、が青い液体が入ったシリンダーを、鍋の中に傾ける瞬間を狙ったのだ。
本来はゆっくり、3分間隔で3回に分けて入れなければならない液体だった。

「メアリー、鍋から離れて!」

身体の自由が戻ったは叫んだ。鍋の中の液体はもくもくと体積を増し、そして、盛大に爆発した。
一番被害を受けたのは、メアリーを守るように鍋の正面で壁になっていただった。
煙の中から「熱っ…」と小さな悲鳴が聞こえて、アシュリーは慌てて先生を呼んだ。

「先生!がっ」

クラス中の視線が集まる中、晴れた煙の中から出てきたの皮膚は、薬品の影響で薬品が付着した部分が真っ青になっていた。濃淡がくっきりと浮き出たその姿をみて、シリウスはを嘲笑う。

「ははははは、スリザリンのお姫様が台無しだな、これじゃあ青いダルメシアンだ」

シリウスの野次を皮切りに、グリフィンドールは爆笑の渦に包 まれた。と同じ寮であるスリザリンからも、失笑や嘲笑が聞こえてい る。
は、虚ろな表情で宙を見たまま、涙をぼたぼたと流していた。シリウスがを邪険に扱うことは今まで何度もあったが、こうも直 接的に、しかも授業中にへの敵意を露わにしたのは初めてだった。メアリーは、の青い肌を隠すようにを抱きしめながら、医 務室に行くために教室を出た。
スラグホーンが杖の一振りで、大惨事となったの席の片づけをし、スリザリンの減点を宣言すると、去り際にその声が耳に入ったのかはメアリーの腕の中でびくりと震えて、グスンと鼻を鳴らした。

「メアリーごめんね」
「悪くないのに謝らないで!シリウス、魔法を使って嫌がらせだなんて……一番扱いが難しい薬品を手にするタイ ミングを狙ってたんだから、本当に最低なやつよ」
「シリウスは理由なく人を傷つけるようなことは……」
「してるでしょう、だからあなたは今泣いているし、肌も青いのよ!」

は、シリウスが悪く言われるのを酷く嫌う。自分があんな目にあったのに、それでもシリウスを守ろうとする。けれど、流石に今回は堪えたようで、それ以上はは口を開かなかった。






あれから1週間で、ようやくの肌から青色が消えた。けれど、シリウスに受けた心の傷は癒えず、元気のない日々を過ごしていた。シリウスの声を聞いただけで涙を流して走り去ってしまうほど。 「シリウスに会いたくない」とは徹底的にシリウスを避けていたが、狭いホグワーツ城内では完全に避けることなど不可能だった。

「お、スリザリンの飼い犬が居るぜ」

突然聞こえてきたシリウスの声に、は体を縮こまらせた。 部屋に忘れ物をしたというメアリーを廊下で待っていたは、ひとりきりだった。
(メアリーに着いて戻るんだった…!)

「シリウス……」

ダルメシアン柄、と罵られたことがの脳裏に蘇る。シリウスの後ろで、「もう元の肌に戻ったんだね。あれ、傑作だったのに」とポッターが笑う。 冷たい視線に冷たい言葉、頼れるメアリーも居ない最悪の事態に、は震えるばかり。

「シリウス、あの、私、ごめんなさい。あなたを不愉快にしてしまうことがあったのなら……」
「不愉快?そんなのいつも思ってるよ。お前の存在自体が俺にとってはもう不愉快そのものだ」

明らかな憎悪を込めて、シリウスは言った。 はひゅ、と息を吸い込んだかと思うと、涙が流れるのを我慢するようにきゅっと唇を噛んだ。

……?!」

ペンケースを片手に戻ってきたメアリーが、大慌てでに駆け寄る

「何事なの?、何か言われた?」

メアリーは、の背を優しく擦りながら、冷たい視線をシリウスに向ける。

「ごめ、メアリー、もう、無理……!」

メアリーが来たことでは涙を我慢することが出来なくなってしまった。その涙をシリウスに見られないように、驚くメアリーの前を駆けていく

……!!」

メアリーの呼びかけにも応じない。すぐに追いかけようとしたが、目の前で笑っているシリウスが許せなくて、メアリーはその場に残った。 メアリーはきっ、とシリウスを睨みつけた。にやり、と馬鹿にしたような笑を返すシリウスの憎らしいこと。

の幼馴染なら彼女のことはよく知ってるでしょう。傷つきやすくてどうしようもない泣き虫なんだから、理由もなく傷つけないで!」

幼なじみの女の子によくもここまで仕打ちができたものだと腸が煮えくりかえ る思いだった。

「ふん、の金魚のフンが何を偉そうに。そんなことをしてる暇があったら、泣いて逃げ出した家のお姫様の機嫌でも取りに行け ばどうだ」
って。家柄に囚われてるのはブラック、あなたよ。ひとつ、いいことを教えてあげる」
メアリーは、ブラック、と語気を強めて言った。どうせ下らないことだろうとシリウスは余裕綽々で腕組みを崩さない。

「私、マグルなの」

シリウスは呆気にとられたように、目も口も開いてたった一言「んなバカな……」と呟いた。

「小さな島国の出身だから名前を聞いただけでは分からなかったでしょう。でも、スリザリンでは違うの。友だちだと思っていた人に出自を調べられて広められて、もう散々だったわ。でも、は違った。私をいつも守ってくれたわ。自分の立場が悪くなるにも関わらず!あなたのこともよく聞かされたわ、グリフィンドールにすごい幼馴染がいるって。私も彼と同じ気持ちだと!私にはあなたのどこが、何がすごいのか、これっぽっちも分からない!あなたは最低よ!」

シリウスは何も言えなかった。

の家やスリザリンに純潔主義の思想があることは確かだけれど、はそれに染まってしまうような子じゃないわ。卑劣なあなたこそスリザリンに行くべきだったんじゃない?」

シリウスもポッターもルーピンも、誰も口を挟めないほどにメアリーはありったけの嫌味をぶつけた。

「次にを泣かせたら、私は絶対にあなた達を許さない。純血主義のシリウス・ブラック!」

反論を許さぬまま、メアリーはを追いかけて去って行った。


「シリウス、君に聞いていたのと随分話が違うじゃないか」

ポツリと投げかけられたポッターの言葉も、今のシリウスには聞こえなかった。





丸1日かけて、ようやくいつものに戻りつつあった。赤く腫らした目が痛々しいけれど、メアリーのいうことに笑顔も見せるし、おどけてみせる素振りもあった。


!」


寮に戻る途中のを呼び止めたのは、シリウスだった。シリウスの姿をみとめた途端に、の体がびくりと震えた。

に構わないで!」

を守るように、メアリーがシリウスを睨めつける。

「メアリー、俺はと話がしたいんだ」

シリウスにこうして名前を呼ばれたのは初めてだった。メアリーはじっとシリウスを見つめる。シリウスの表情が、今までとは少し違う気がしたのだ。シリウスは、メアリーを見ながら深く頷いてみせた。

「……もう消灯が近いわ。寮に帰らせて。私への侮辱なら、明日聞くから」
は力なくそう言った。

「侮辱なんかじゃない!、俺は……」

シリウスは狼狽えたように視線をさ迷わせた。続きを口にしたいのに、頭の中で整理できず、上手く表現ができなかった。

「ああー!!くっそ、」
「……シリウス!?」


突然叫んだシリウスが、覚悟を決めたようにの手をとって走り始めた。 焦ったメアリーのを呼ぶ声が辺りに響く。 離れようともがくだったが、シリウスは強引に近くの空き教室に連れていった。


空き教室に入っても、シリウスは何も言わなかった。涙で顔をぐしゃぐしゃにしたが意を決したように口を開いた。

「ごめんなさい、私、何か悪いことをしたのなら謝るわ…もう、私、耐えられない、耐えられないよシリウス…!!」

瞬きもしていないのに、の瞳からはたくさんの涙が零れた。シリウスは言葉に詰まり、力いっぱいを抱きしめた。

「シリウス?!いや、離して!」
、頼むから聞いてくれ。……俺達、小さいころはよく遊んでたよな?覚えてるか」

シリウスの腕の中で震えていただったが、シリウスのあまりにも優しい声色に、思わず頷いた。

「……私、っ、シリウスと遊ぶのが……好きだったわ。あの頃からあなたは…ブラック家が大嫌いで、私達の家の考え方がいかに古臭くていかに馬鹿げてるか……私に聞かせてくれたわよね」
「ああ……」
「私、あなたとは違って臆病だから、家の教え通りにスリザリン生になったけど……その、同じ気持ちでいるのよ」
「……」
「あなたがグリフィンドールに入った時、寂しかったけどすごいって思ったわ。私には、大きな力に抗えるような勇気はなかったから 。スリザリンで何と言われていようと、私はあなたを誇りに思ってるわ」

だから……と続けようとしたな、嗚咽が混じって上手く言葉にならなかったようだ。シリウスはただ黙ってを見ていた。 「だから、お願いだから、あなたの幼馴染を、勇気のないスリザリン生をどうか嫌わないで……っ」

最後の方は半ば泣き叫ぶようなの言葉に、シリウスは言葉に詰まって何の反応もできなかった。
幼い頃、シリウスがどんなにブラックやを馬鹿にしようと、「シリウスって考え方が大人なのね」「すごいわ」としか返さなかった 。あのときは、何も考えてない典型的なお嬢様だ、相手にするのも馬鹿らしいと心の中で罵ったが、シリウスの言いたいことや思考はちゃんと届いていたのだ。

「……」

目の前でぼろぼろと涙を流すに、シリウスは何の優しい言葉をかけてやることもできなかった。純血、混血そんなものクソくらえと 思っていたはずだったのに、が純血と言うだけで、スリザリンに入っただけで自分の敵だと決めつけて相手にしなかった今までの行 動が恥ずかしくて申し訳なくて、そんな溢れる思いを言葉に変えることができなかった。


「……もう、部屋に戻るわ」

駆け出そうとするを、シリウスがぎゅっと掴む。突然のことに身体を固くす るの髪を、愛おしそうに撫でる。
消灯後の校舎の中は驚く程静かで、ロープが擦れる音、そして2人の息遣いがお互いの耳に鮮明に届く。

「シ、シリウス……?」
が不安そうに声をあげた。シリウスは何も返さない。シリウスはただただ考えていた。今のこの状況はいつか見た夢と全く同じだと 。だけど決定的に違うことがある。それは、シリウスの中に、を憎悪したり怖がらせたいと思う気持ちがないこと。

「シリ…ウス…」

がまた、不安そうに声をあげた。シリウスは、少し、ほんの少し抱きしめていた腕を緩めての頭を撫でた。
「今まで悪かった」 シリウスも涙声だった。はそっとシリウスの背中に腕を回し、ぎゅっと抱きしめた。 お互いの温かさが妙に心地よくて、2人はしばらくそのままでいた。




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